2008.03.13

珈琲閑題

以前にNHKで「プロジェクトX」という番組があった。
それぞれその道での成功者が、何事かを成しえるに至るまでのドラマを、本人、その周辺の人物、の取材も含めてドキュメンタリー風に描いた人気番組だった。
ご覧になっていた方も多いと思う。
それぞれの、窮地にどのように事を成し得たか、宿命にどのように立ち向かったか、新しいものをどのように人々に認めさせたのか、など、大いに感動を呼ぶ内容も多かった。
しかし、ヤラセの噂が起こると、釈然としないままそそくさ番組は消えてしまったのが残念だ。
ここに取り上げられた方々は、この中島みゆきのテーマソングにあるように、皆「地上の星」としての輝く人生である。自分ら庶民とは頭も心も出来が違う、特別な人のような気になってしまう。

しかし最近とみに思うのは、このようなすばらしいことを成す事が出来た人でも、“そのとき”の心の声はどうだったのか、ということをよく考える。
腹をくくるという言葉があるが、勝海舟の氷川清話に、自分に援助をしてくれた人(名前を忘れた)の話を大切に心に留置くくだりがある。金を儲ける才覚として、よく分からぬ時はあらかじめ相場などの値をその時に決めるのでなく、前の晩に値を決めておくという話が出てくる。その場で決めずその値になったらきっと売るのである。
何事でも、その渦中に即座の判断とは難しいものである。普段に決めておけば、勝であれ負であれその場で迷わずにすむ、平常の心で決めてあるのである。
こと窮地に於いて、状況で心が昂じて何事かを決めてはならない。

「裸で生まれ出たからには、きっと裸で帰る。」
本来無一物、帳尻はゼロ。
これを決めておけばこんな気楽なことは無い。
前の晩が渦中で無いことが条件である。cafe


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2008.03.04

大人の退屈について

大人になり歳を取ると、退屈でつまらない時間というのが増えるのであろうか?
何か、いろいろなものが色あせて見えてくるのは気のせいなのであろうか?
年齢を追う事毎に、時間が早まるような気がするのも、私だけの現象ではないと思う…。
実際、五十代の後半の一年間は、十代のひと月よりも短い気がする時がある。

家具などの付き合いの永いものたちの表情を、日中、まじまじと見つめてしまう時があるが、
そういえば、いつの間にこんな味のある色に変わったのか?まったく記憶に無い。
数十年といえども、つい今朝の記憶と、大して違うものでもない気がしているのだが、
実際には、いろいろなものが変化をしているのであろう。
そんな事は、知らぬが仏、馬の耳に念仏、を決め込んで物事に熱中するのもいいだろう。
しかし、某かの隙間風が、心を寒くさせるのである…。

これは、自分という命に限りがある事を自分が知っているからであろう。
それを正直に心に認めたときに、静かさと孤独が真の正体を顕わす。
自分の存在が消えることは恐ろしい事である。
生まれたからには死んでゆくという自然の道理は、自分にも遣って来るものだというのは、どう思考してみても理性では納得することが出来ない事だ。
心の波を静めて、大きく座るしかない。
…ものが判るということが大人なのである…。
一つの道理として、ドラマとして、この心の寒さすら味わうことが出来うるのも人間である。
魂というものは、けっして現世の煩雑な時間の中にだけ生きるものではないと、私は思う。
まったく退屈と言えども、恐ろしいものが在るものである。
追記
果たして、人生の五十年というのは、百年の半分である。年表で、江戸や、明治というものが判ったような気になっていたが、実際の五十年を生きて、明治維新までの、自分の尺の時間を知り、大仏建立の天平や奈良時代までも、その感覚が支配できそうな気がしてくる。そうしたときに、永久の昔から私の祖先達の魂が、まったく現前する気がしてくるのである。japanesetea


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2008.01.30

コーヒー雑記 14

ほろ苦い味、というのがある。
水木しげるの漫画「悪魔くん」に、再会という店で、たぶん、悪魔くんの使徒ヤモリビトだったと思うのだが「ほろ苦いコーヒーを一杯」と、注文する場面があったと思う。
なんとも、その注文の文句がしゃれている。「ほろ苦い」を付けることでかもし出されるモノはなんなのでしょうか?
自分の不甲斐ない経験が呼び覚まされたときに、なにか苦い味が喉の奥に残ることがある。
全体的な印象が、思い出されるときに味覚を呼び覚ますのかも知れない。なんとも、味となって回帰することが大変におもしろいことである。
なので、このヤモリビトの変さ加減は、あらかじめ「ほろ苦いコーヒーを一杯」と、注文する
こと、そのものがとてもおもしろいのである。

ほろ苦いと言うと、もう一つ思い出されるモノがある。
荒木一郎の歌謡曲で、これも、もううろ覚えだが「君に捧げるほろ苦いブルース」だったと思う。
三十年以上前のラジオ番組、「空に星があるように」で流れた歌だ。
独特の風貌と鼻にかかる声に特徴があるが、当時、シンプルでナイーブな歌がたまらない魅力だった。
この番組が好きで、「今夜は踊ろう」「いとしのマックス」「潮騒の歌」など、若き日、トランジスタラジオで毎晩聞いた。触発されて、自分で作詞作曲などもしたりしたのである。
別にこの歌、「君に捧げるほろ苦いブルース」のみに思い入れがあるのとはちょっと違うのだが、自分の、まだまだ青い頃の何か恥ずかしいぐらい純情な記憶なのである。
この番組、「空に星があるように」、荒木一郎、といえば、知ってる人は知ってる。
私にとっても、まさに「ほろ苦いコーヒーを一杯」と、注文したくなる名前だ。cafe

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2008.01.23

コーヒー雑記 13

地球時間で言えば、四千年がすでに此処で過ぎていた…。
マクベイの後裔、マクベイ・ロビンの子孫は、果たしてどうなったであろうか?
自らのシステムアップを図ることをする機械式のロボットは、果たして過酷な環境に順応して、コーヒーを愉しめるような高尚な進化を遂げたのであろうか?それとも、滅んでしまったのか?
そこには、一見して何事も無い、昔と変わらぬ砂漠が続いている…。

「おい、待ちな!何処から来た?」
駱駝のようなものに跨ったガンマンが、突然私の背にライフル銃を突きつけた。
「おお、生き物がいた!」私は、感動のあまり小躍りして振り返った。
?人間に寸分違わぬ、黒髭のマカロニウエスタンな男が立っていた?
「この星に、人間の立ち入りは禁止されてたはずじゃないのかね?」私は男に不平を言った。
「人間?俺は人間じゃねえ。生物型ロボットだ。この星にもっとも順応度がある生物型の自己増殖可能ロボットさ!貴様こそ人間じゃねえのか?
早く此処を消え去れ!
消えねえと、撃ち殺すぞ。
俺たちは人間と違って、人殺しも、なんとも思っちゃいねえぜ。」
「わかった、わかった。今すぐ此処を去るよ、これだけ教えてくれないか?
マクベイ・ロビンの子孫はどうなった?」
「知らんな。」
「そうか…。これでもやらんか、みやげだよ。」私は缶コーヒーを出して、男と飲み干そうとした。
すると、…男は泣いていた?
「俺は感動してるんだ!そのピカピカな金属缶を見たとたん我慢ができなくなった!
この味!なんともいえない郷愁が、身体の底から湧き起ってどうにもならん。
いったいこれは何だ!?」
私は、琥珀色した飲み物の名を男に教えた。

まだあるのか?

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2008.01.17

コーヒー雑記 12

いよいよネタがなくなってきたのか、はたまたコーヒーが出がらしてしまったのか。

そのとき突然にあの男が入ってきた。
スパロゥだ。
「へへ、もう出ないかと思った?あまいな。
俺はどこでも神出鬼没さ、ところでマクベイ、お前には借りがある。
紙コップで飲むカプチーノもいいが、このリボルバーも味わってもらいたいものだ。」
スパロゥは診療台のマクベイに向けてリボルバーを連射した。
バン、バン、バン、バン。
マクベイはその場に転がった。

貫通した四発の弾丸が、自分に穴を開けたのが分かった。
穴から堰を切ったように、液体が流れ出る…。
「まったく、プルトップってのも良し悪しだ。開け口が取れちまっちゃこうするよりないだろう? この星にゃ缶切りも無けりゃ何もありゃしないんだ。へい、マクベイ、飲むかい?」
不時着時に、一本だけどういう訳か残った缶コーヒーだった。相棒のスパロゥ飛行士は、缶コーヒーがことのほか好きだった。
尖った石の先端で空けた缶コーヒーをうまそうに飲み干した。
「なんか、いい夢でも見ていたのか?にやにやしていたぞ、マクベイ。」
「いや、…なんてこった?やっぱり遭難していたのか。今度こそ絶体絶命だ。せいぜいうまいコーヒーでも飲みたかったよ。」
「しかし、お前にも味が分かるとはな…。マクベイ。」
壊れたローンウルフ号の遭難信号も、とうにバッテリー切れになっていたとさ。

これは、この星の祖先に伝わる昔話だよ。
われわれマシン族の祖先の飲み物としてコーヒーは重要だ、先祖があがなわれている訳さ。
そう言いながら銀色に輝くマクベイ・ロビンは、巨大な月の出を背景に、自分のキャタピラ部に缶コーヒーを注入した。

たしかに終わりだろうね?

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2008.01.16

プロフィール第二弾

訂正しなければならないことが生じました。
案の定、食いたいものを好きに食っていたら成人病になってしまいました。
大げさが好きなので、大げさに言いますが、平成二十年一月現在、生活習慣、つまり生き方を変えなければならない事と相成りました。
なので、プロフィールの変更です。
10キロ減量して、「うまい」と思えるものが根本から変わりました。
私が間違っていました。ワルうございました。団子や煎餅はすっかりヤメました。
ビールもヤメました。木琴はやってます。

うまいもの、
水、湯、野菜などの元の素材の味、米そのものの味、
今、私は、ますます大衆の鑑のように磨かれた思いです。
好きな音
自然の無音

以前の、思い上がったプロフィールに羞恥の思いを致しております。
とりたてて感心すること
この世に生を受け生きてること
はてさて、この私のプロフィール、いったいどうなって行くのでしょうか?

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2008.01.09

コーヒー雑記 10

「マクベイさん、マクベイさん。しっかりしてくださいよ。
はい、口あけて下さい。」
ギュンギュン、ガー、バリバリバリ。
真久部は、歯医者の治療中に眠り込んでしまった事を恥じた。
それにしても何故ここの歯科医は、自分の名にイを付けて、まるで外人のように呼ぶのだ?謎だ。
「ハイ、もっと大きく口開けて。」
何か途方も無い夢を見ていたのを思い出して、真久部は半身を起こそうとした。
「あ、イタイですか?」
真久部は、口を開けたままイヤイヤをした。
しばらくして目をつぶっていると、ヒンヤリしたものが奥歯に引っ付いた。
「型を取っています、そのままそのまま、マクベイさん。」
歯科医の、しばらくじっとしてて、の指示で、真久部は再び夢うつつになった。

マトリューシカは、二、三百人もの小人達の手で開けられた。
顔の部分のハッチが開くと、自分の親指ほどもない大きさの人間が、わんさかと力を合わせて作業しているのが見えた。まるで「ガリバー旅行記」の中の、ガリバーだ。
「何だ?何をしている?ここは何処だ?」マクベイは叫んだ。
小人達のどよめきがおこった。
まるで何十分の一かの精密なドールハウスの街中に横たわっている感じだ。
マクベイは半身を起こすとゆっくりまわりを見回して言った。
「小人の国かい!?ちょっと待ってくれ。俺は何処に来てしまったんだ?」
「落ち着いて落ち着いて、マクベイさん。コーヒーでも飲んで、気を落ち着けてくださいまし。」
メイドの格好をしたおもちゃのような大きさの少女が、トレーに載ったコーヒーを高く差し出した。
「おや、これはこれは、ありがとうお譲ちゃん。」
マクベイは、早速手を伸ばしたが、そのカップの小さなこと小さなこと!
マクベイはゆっくりした動作で、カップをつまみ、飲み干した。
世界で一番小さいカプチーノに大満足をした途端に、再び声がした。
「ハイ、ぶくぶくして下さい。」
真久部は、思わずうまそうに紙コップを空にしていた自分を恥じていた。

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2008.01.07

新年ご挨拶

明けましておめでとうございます。
今年の「荒唐無稽」は、より本来のテーマを深めてゆきたいと思っております。

さて、地球温暖化、地球環境、が今年の正月のTVを賑わせましたが、
わが「荒唐無稽」的な見方で極論すると、霊的な元年に突入という感じも致します。
TVで放送されていた内容にも、いまひとつ説得力が無かったのは、現在の文明社会の人間の営み自体が、膨大化して、もはや危機的な状況の限度を超えてしまっていると思えた事です。
国際的なCO2削減を、国際間のカケヒキ、環境で経済を争う姿勢は、なんとも愚かしく無益なものに思えてきてしまいます。
さりとて、このような問題の否定をすると、短絡して人間存在の否定になりかねません。
現在時を生きる自分というものは、決して、ただの物質では無いはずです。

そもそもこの破壊の直接の原因は、産業革命、その遠因として科学的な認識法に由来していると思われます。
命を物質として見る見方です。
人間の理性の目覚めからすれば、避けて通れない道です。
しかし、それは悟性の到達地点では無いはずです。
ここに「礼」がなければ、何者も育成はしません。
TV報道の釈然としない感じは、何処から来るのでしょう?
解決しようとする側の、現在の科学技術、経済中心の世界観が、救済できない本質的な問題だから、ではないでしょうか?
地球破壊が、ぶしつけな止めようの無い科学技術の文化、文明との相関関係から起こる破壊、という認識が欠けているとしか思われません。

時間、空間、物質、生命、に対する、根源的な認識を改める必要があると思われます。
その新たな理解が世界的に起こりうる事を期しての、2008年は元年という事なのです。
それも、人間理性が自力で起こしうる改革では無いという予感が致します。
大きな意味で、現在の、己の肉体の死により、すべてが無に帰す、という考え方が、現代社会で初めて乗り越えられる時がまじかに迫っているように思われてなりません。
これら一連の重要事は、それこそ、「荒唐無稽」な仕方でしか顕現しないものなのかも知れません。

老子いわく、「玄のまた玄」、本当の黒から見ると、普通の黒は、まるで白とかわりない。…
本年もよろしくお願い致します。

平成二十年 迎春

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2007.12.31

謹賀新年

Nenga
著者近影

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2007.12.26

コーヒー雑記 9

突然、マクベイの目の前にスパロゥの姿が横切った。
「あ!この野郎、いったいどうしてこんなところに居やがる?幻覚か、それにしても嫌な幻覚だ。」
ニヤニヤと笑う顔が窓から覗いた。
ペトリューシカの顔の部分は窓になっていた。
その窓から、覗き穴を覗き込むと、依然と船外活動服をまとったスパロゥの姿と、背後に奇天烈、奇怪な海賊船が見えた。
「マクベイ、絶体絶命だな。」声がすぐの耳元で聞こえる。
「まったく嫌なやつが、現れちまったものだ。ここがどこだか分かっているのか?スパロゥ。」
「ああ、分かっているさ、マクベイ。地獄のようなコーヒーの味はどうだった?」
「ああ、最高…、どうして知っていやがる?なんでだ?どうして貴様が居る?俺は、絶対の孤独と、死に直面する、冒険家としてはただならないところなのだ。放っておいてもらおう!」
「これは幻覚じゃないぜ、マクベイ。
俺にしても、難破船の救助は船乗りの高潔なる使命さ。救助は、ホロ苦いコーヒーの味わいを終わってからの方がマナーがいいに決まっているだろう?」
「貴様のような海賊野郎にマナーがあったとはな。私の貴族としてのプライドが許さん。このままに捨ておけ。」
「見上げたお言葉だよ。マクベイ、そこまで言うならしかたがない。いい旅を祈るぜ。じゃあな!」
スパロゥは窓から消えていった。

ブラックコーヒーのように濃い宇宙に、マクベイの白銀色の渦が痕跡も残さずに落下していった。

この後つづくのか?

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2007.12.07

コーヒー雑記 8

地獄のように熱いコーヒー、黒いコーヒー、という台詞がある。
なぜか天国ではないのだ。
此処のところに私は気持ちをそそられる。
どこかほっとしたい時にコーヒーをやるが、それは荒れ狂う嵐の渦中や、休戦中だったりする。
問題は解決してない。それどころか地獄を見るのはこれからかも知れない…。
こういうコーヒーほど、身にしみるものは無いと思う。

「船は完全に通信を遮断されていた。原因不明の磁気嵐を抜けるとマクベイの乗るローンウルフ号は、すべてのコントロールを失った。緊急電源装置に切り替え、マクベイは船外活動までし、調査したが、
地球に戻る手立ては無かった。戻ったマクベイの視界に、小窓の6時の方角からぐんぐんと見えてくるものがある、周回する衛星の火山の噴火だ。
マクベイは自分専用のパーコレーターでコーヒーを入れた。
無機質な気持ちで、黒々と濃いコーヒーを味わいながら、静かにその噴火を眺めた。
深焙煎のいい香りとともに、その地獄のように黒いコーヒーを飲み干すと、
いよいよ空気が薄くなったコントロール室を後にした。
マクベイは、覚悟を決めた。
緊急着陸艇に乗り込みローンウルフ号を後にした。
マクベイの小さなマトリューシカのような脱出艇は、ぐんぐんと真っ暗な空間を落下していった。

つづく

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2007.11.29

コーヒー雑記 7

ものの本によると、コーヒーノキの原産地はエチオピアにあるということだ。
コーヒーの覚醒作用が有るのは有名だが、
6世紀ころに、アフリカではその覚醒作用は分かっていたらしい。
ところで話は横道にそれるが、
西アフリカでは古くから、コラという覚醒作用の有る木の実をかじる習慣があるところも存在する。実は、このコラという木の実はほとんどの人が知っているものである。
コカ・コーラだ。
コカ・コーラのコカはコカの葉起源だが、その、コーラの方の語源になるのである。
(コカ・コーラは、実際には成分を公表していないので、正確なところは分からないらしい。)
コラは、コーヒーのカフェインよりも2倍3倍強いと聞いたことがある。
覚醒作用のあるコラの実をかじると、気分が爽快になり、元気になるともいう。

ところで、私は長年アフリカ・ガーナの音楽に親しんでいるが、どうも西アフリカ音楽とも深い関係が有りそうだ。
まず、西アフリカの太鼓にしろ、木琴にしろ、「気分が爽快になり、元気になる」。
演奏していても、精神や、気分が覚醒して、高揚感がある。これは、思うに西アフリカ伝統音楽の重要な特徴になるかも知れないのである。
「気分が爽快になり、元気になる」
コーヒーの場合は、もう少しマイルドな効用かもしれない。
しかし、気分を変え、シャッキリさせるにはなくてはならないものである。

よんどころなく西アフリカ音楽、コーヒー、コーラ、の、三題話となり失礼致しました。
ところで、コーヒーの世界の取引規模というものは、一次産品としては石油に次ぐものであるということです。そしてこの日本はというと、世界第三位のコーヒー消費国なのでございます。
今、石油が高騰していますねえ。
コーヒーてえものは、無くても石油ほど困らないのかも知れないのです、が、
実は、ここに人間の不可思議あばらかべっそんな秘密があるように思えるのです…。
反対に読み違えてみると、あらあら、
気分が暗く、病気、というのは、ほんとに嫌なもんですわ。


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2007.11.26

コーヒー雑記 6

おもしろいので、続けます。
ジェームスの逃亡が始まった。その夜のうちに、コートを着ると着の身着のままで家を出た。
現実なのか、幻想なのか、しかし人を撃った銃の手ごたえだけは残った。
ジェームスは、九十まで生きて、よもや、殺人者になろうとは思いもよらなかった。
茫洋とコーヒーと波止場を眺める静かな人生の終わりのページは、途方も無い力でへし曲げられた。
まだ善良さの残る頭で目いっぱい思いをめぐらせると、警察に出頭しようと、市警の前まで行った。すると、例の若い男が再び目の前に現れた。
「よくも、よくも撃ったな。この殺人鬼め!」
ジェームズは全身の恐怖から、腰が抜けたようにその場に座り込んだ。
「お前は殺人者だ、逃さないぞ!おめおめと、普通の生活には、戻れないのだ。」
ジェームズは再び発砲した。
ジェームスは駆けつけた警護の警官の前で自らを撃とうとした。
拳銃は警官にもぎ取られた。

ジェームスは、いつものカフェでコーヒーを注文した。ウエイターに大声で注文を出した。
「ミルクをたっぷり入れてくれぃ!顔が映らないようにな!」

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2007.11.22

コーヒー雑記 5

ジェームズはおもむろにコーヒーカップの中を覗き込んだ。
其処には、若い男が、にやけた顔で映りこんでいた。
見たこともない、自分にとってはまったく縁の無い種類の男の顔が浮いていた。
ジェームズは、嫌な気分になり一気に飲み干して店を出た。
今年九十歳になったジェームスにとって、港町のカフェは落ち着ける場所だった。
そこでは、彼は静かにコーヒーと船を眺めては、茫洋と時を過ごしたかった。

その日、ジェームスが家に帰宅すると、しばらくしてから、誰かが訪ねて来た呼び鈴の音がした。
薄暗くなった玄関を開くと、そこには昼間の若い男が立っていた。
「よくも、昼間は私を飲んでくれたね。」
ジェームスはそら恐ろしさのあまり、護身用の銃で、男を撃ちぬいていた。

これは、ラフカディオ・ハーンの「茶碗の中」をアレンジして脚色してみたものです。
コーヒーだと、また違う味になったでしょうか?

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2007.11.21

コーヒー雑記 4

かなり痛々しい話にあいなってしまった。
気楽な話に戻そう。
以前、中野に「伊万里」という店があった。
この店は、伊万里焼のコーヒー茶碗が沢山並べてあり、好きなもので煎れてくれるが、
何も言わないと、店主が、その人の印象でカップを選んで煎れるらしいと聞いた。
キングレコードのH氏と、ある時その店に入ることがあった。
この店、なかなか面白いと思ったが、出てきたカップ同士はあまりその差が判然としない、残念なことに、伊万里焼はカップの印象が似通っていて、どれも似たり寄ったりの上品さであった。
この時H氏と私は、風体服装もかなり違っていた。
かなり深い意味では、双方ともに上品ではあったが…。
…いや、
それとも、店主は、もっともっと達人で観察眼が鋭くて、その程度の個性の差などは、便所の糞欠きべラなどという境地まで達していたのであろうか?
そうであるならば、挨拶の一つも交わしておくべきであったと悔やまれる。

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2007.11.20

コーヒー雑記 3


ところで、うまいコーヒーもあれば不味いコーヒーもある。
わざわざ不味いコーヒーを所望する人はいないであろう、しかし、
この頃気になるのは、飲食一般で、美味しいものばかりを求めて訪ねまわり、
素朴で絵にならないものは、見向きもしないことだ。

コーヒーに限った事ではないが、ごてごてと薀蓄を並べ立て、
どこそこの材料を、どこそこの水でなどと、美味さの能書きが多い。
しかし、美味しいといわれる素材ばかり集めて、そればかりやり続けていいわけが無い。
誤解されては困るが、私が言いたいのは食の安全の事ではない。
飲み食いするもので美味いものばかりを揃えると、何か素朴なものが、貧相に見えてきてしまうのである。あたかも、そこまでの己の努力と自力のみが美味さのすべてである、と言わんばかりになってしまう。
食が、諸々のいのちを戴いてることを忘れてしまっている。
人の手を入れすぎて、自然を忘れ、感謝を忘れ、
美味いもの、良きものだけ、を選択する事は、必ずや弊害を及ぼす。
そこに食では、すぐに肥満と成人病が待っているのである。

私は通風になってしまった。
私には、その欲を掻いた精神が不浄に思える。
今の時代に、真に質素なものに感謝を求めることほど難しいことは無い。

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2007.11.14

コーヒー雑記 2

さて、珈琲というのは不思議な飲み物である。
手間隙かけて、もてなされたときの一杯も格別であるが、何よりも器を選ぶ。
その器とマッチしたとき、相対するその時間は、他に代わるものが無い。
温かい飲み物が、いかに人の心をほっとさせるものであるだろうか。
器といっても特別高価なものを言うのではない。
使い古されたコッフェルの時もある。
それで一つ思い出した。
私はある時分、しばらくアフリカで木琴の稽古をしたことがある。あるとき、稽古がすんだ私に師匠のカクラバ・ロビが、このコッフェルにコーヒーを煎れてくれたのだ。このコーヒーは、ネスカフェといえども格別の感があった。
今は亡き人の、あのやさしい人柄を思わずにはいられない。
つづく

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2007.11.12

コーヒー雑記 1

夜も更けた日付も替わろうとするときに、香り高い珈琲をゆっくりとやる。
どこまでも異国の地の香りを失うことの無いこの珈琲という飲み物は、まったく生活に溶け込んでしまっても、どこかしら、覚めぬ夢の一部を現在も漂わせるものである。

コーヒーで私が記憶にのぼるのは、まず学生時分よく行った喫茶店である。
そのころ、神田神保町には、交差点裏の路地角に、ウエイターの女の子がフランス風トリコロールのお洒落なバランスでタイを締めた「ミカリ」という店があった。
純喫茶風であるのに、ウエイターは、ゴダールの「気違いピエロ」などに出てきそうな、どことなく大人っぽくてかっこよく見えたのである。
学生の頃の動機とは、そんなものである。
この店に足しげく通い、友人共と映画、美術、哲学文学論に花を咲かせた。
そうそう、この頃はいつも注文は「ホット」であった。
此処に来て三日にあげず「ホット」を注文した。
懐が暖かい時は、トーストなども頼んだ記憶がある。
当時懐はすってんてんであっても、珈琲代は何故かなんとかなったのである。今でも不思議に思う一つだ。
珈琲の飲み方も随分と違ったものであった。今となっては信じられないほど砂糖をたっぷり入れて飲んだものである。

ブラックになったのはいつごろのことだろう?
いや、珈琲を入れて飲むこと自体忘れそうだ。

つづく

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2007.10.15

思い返すと変な事

思い返すと変な事というのがある。
睡眠中という訳では無いが、夜にうつらうつらとしていて、いきなり何かの用をしなければと立ち上がり、二三歩歩いてから、何の用も無いのに気づき、その場は終わりとなった。
しかし、日を経てよくよく其の事を思い出す機会を偶然得た。
何か生爪を剥すように、自分が二つに剥れた記憶が微かに在るのだ。自分でも驚いた。
転寝する自分と、起き上がった自分である。
分離しかけてすぐさま、また元の身体に戻ったのだった。
何とも不可解な記憶である。

忘れていた事を、思いもかけず思い出す事というのもよくある。
何十年も前の、たいした印象に残ることでもない、出来事というにはあまりにも些細な光景や、ある路の光景、意味という意味はまったくない、脈絡も感じられない光景が、急に目の前をよぎる事がある。
数十年も前に見た夢で、それまで、今の今まで思い出した事も無い夢の事も在る。
木琴の稽古で、楽器の演奏中などにまま在ることだ。
しかし、生まれてからの物心が付くまでの記憶というのは、こういう風に出てきた事は無い。
何某かの体感に近い、記憶と呼べない記憶はあるのかも知れないと思う時があるが…。
もっとも、その記憶はほんとに無いのかも知れない。
取り立てて記憶にあるものでもない事が、いったい何処にしまわれてあるのやら、まったくもって不可解である。

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2007.10.04

「工藝の道」を読んで。

前に書いた、「茶と美」と組みでお勧めしたい本である。
こちらも、やや専門分野の香りがするが、内容はいたって簡潔である。
ここに書かれたものは、初出から八十年近くを経ている。
しかし、本筋でのテーマは何ら古くなっていないどころか、
現在もっとも必要とするものを含んでいる、と私は思う。
ここで問われている問題点をお話したい。

ある意味『一個人の天才により生み出されたものが、果たして、この上なく最上のものであるのか?』
と問うている。
能力と個性の世の中で、大変なテーマである。
文明開化以降、現在に至るまで、このようなテーマは疑いもされずにいた。
これを、工藝というものと、美術の分野の比較で述べているのである。

もともと柳は宗教哲学の人である。『他力』による救いに彼の根底がある。
「自我の意識の介入を超えた処にこそ、真の存在がある」と読み取れるのは私だけではあるまい。

個性を問われる時代であるが、ここに柳の『妙好人』という言葉がある。
簡単に言うと、それは、高僧のような理性や知識を持つものが長い修行の末至り着く境地に、
字も読めないひたすら無学な凡人が勝る、という、頭の良さを通り越した天然の知恵の者を呼ぶのである。
妙好とは、もともと白蓮華の華を指すということだ、言わば『天然』の風格ととれる。

個性の主張ばかりをする現在のもろもろ品々に、健康の美しさではなく病が見て取れるのは、私だけではないはずである。
今の今は、いろいろな意味で学力能力比較の社会である。自分の無能に壁を感じてる方も多いと思う。
自信を失って、自分はダメな人間だ思うのは早計である。
人間は、能力と個性だけではぜったいに決められないのである。
この本の内容を鑑みるに、個性と能力を、その人とイコールにしてしまう世の中に、正面から張り手を食らわせる思いがしてならない。

真にすばらしいモノとは、天然に咲く花のように、人間の作り出した意識的な面とは無関係の事であると、私は思う。

4061597248工藝の道 (講談社学術文庫)
柳 宗悦
講談社 2005-09

by G-Tools
4061594532茶と美 (講談社学術文庫)
柳 宗悦
講談社 2000-10

by G-Tools

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2007.09.25

録音した音源の驚き

今回のガーナ行きで、帰ってから気がついた事がある。
それは、カクラバのマンボビの家の庭で、何気なく演奏を録音した内容の素晴らしさだ。
夢中で取材中は、聞くことができなかったが、マンボビでの木琴演奏は、とんでもないものであるのに驚いた。
その木琴演奏はこの上ないスピードとテクニックは勿論、どこかに普遍的な品格を持ち合わせている。
ロビ族の歴史にも繋がる何かだ。
カクラバが二度日本に連れてきたバィエレである。
今二十七歳になるということだ。
彼は何年もどういうわけであるか、行方が知れずにいたが、ニマの貧民の街にひっそりと住んでいた。
その演奏は、まさにカクラバの折り紙付きといってもよい。
このまま此処ニマに埋もれてしまうには、あまりにも勿体無い話である。
この青年の神の加護が在らんことを願わずにはいられない。

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2007.09.20

カクラバ・ロビの音楽

カクラバの演奏は、現地ガーナよりも海外での評価が断ぜんの高さが有ります。
アフリカ音楽だけではなく、クラシック、ジャズ、現代音楽、
また現代美術、ミニマムアートなどの分野にも、大きな影響を及ぼしました。
アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、etc, 内容もまったく西洋の音楽をも凌駕する勢いです。
しかし、カクラバの音楽に難しい理屈はほとんど必要有りません。
その響きの美しさと、ダイナミックなビート感は、
難解なところなどどこにもありません。
カクラバの演奏する音楽そのものは、同じ曲でも千変万化、変奏と変容する美しさに溢れています。
このような演奏家は希有です。

日本にも多くのカクラバの音楽のファンがいると思います。
カクラバの音楽について、それぞれの感慨をお持ちでしょうが、
私には、カクラバの演奏を聞いているとアフリカの音楽というジャンルにもかかわらずに、
どのような音楽評論も軽々とすりぬけてしまうのが、とても気持ちのよい事でした。
分からぬやつからは、身ぐるみ頂いてしまう気概も持ち合わせていました。
ともすると空耳のように、カクラバの大きな笑い声が聞こえてくる気がします。
まるで歴代の名だたる禅僧のようです。
カクラバはちょっとした冗談が好きでした、自分のジョークに自分で大笑いしたりしていました。
正直言って、カクラバの偉ぶった所のない、
こんな敬愛できる人柄は、あまり知られて無いかも知れません。
あれほどの凄い演奏からは、なかなか想像するのは容易ではありません。
しかし驚くのは、公に残されたCDや音源、映像の、何とも少ない事です。
「立つ鳥後を濁さず。」の格言の通りなのでしょうか…。
人の命というものには宿命とかぎりは在るのでしょうけれども、                                                               私には、星が一つ消えただけとはとても思えない心境であります。

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2007.09.19

カクラバ・ロビ大葬儀の報告 2 当日

葬儀では、親戚縁者の他に個人と親しかった人々が集まって来ます。
しかし、カクラバの場合は海外にも多くのファンがいました。
葬式には出れずとも、その音楽を敬愛する人達の中には
まだ、亡くなった事すら知らない方もいるでしょう。
そのような方達のためにも、多少の細かい事を記しておきたいと思います。

セレモニー当日は、カクラバの生まれ故郷のサルーの長老のジェームスが先頭になり、
ロビ族の弓を高々と掲げ、後には、カクラバの故郷に住む兄弟、ダリ、や村人が続き、
一列になりコギリに合わせてダンスで中央に入場してきます。
反対からは女性らが同様に列になりすれ違います。
アクラ在住のカクラバの弟、ドワナがピレの演奏を始め、それを皮切りに、
一番下の弟ヒェンボルトや、ゆかりの木琴奏者バィエレらが、
つぎつぎと順番に演奏しはじめました。
ガンガというドラムが加わったスタイルの木琴が、ダンスの主役になります。
これは、前にも書きましたが、感電して震えるような激しいダンスで、
大勢の踊り手が、皆一斉に走り込んで来て震える様は凄いものがあります。
いずれにしても、木琴中心のアンサンブルが行なわれ、
ダガラなどの響きの多少違うものも演奏されました。

ドワナの木琴の露払いを先頭に行進してきたレゴン(ガーナ大)のクワベナ教授が、黒の衣装で演壇に立ち、
長い喋りに脇侍の方がいちいちうなずくのは、アフリカ風な見物でした。
目の覚めるような黄色の衣装に着替えたムスタファとオボヌドラマーズの入場では、
コーラスがひと際目を引くと、トーキングドラム、シェケレとともに、
ムスタファのバレケテのリズムが、高く低く響き胸を掻き立てます。
そしてムスタファとオボヌドラマーズ演奏の後、そこにカクラバの後継として、
カクラバと一緒に日本に二度来た事の有るバエレを加えた、短い演奏が有りました。

他には、前述した、バレリー女史、ソーイチマ氏の他に、
甥のエスケーが木琴をたたくグループでは、アテンテンベンの笛三本にパンロゴ、ゴメの入った、
ハイライフ風なトラディッショナルの演奏で、笛の音色がアクラの空に明るく響き渡りました。
夕暮れも過ぎ、ドワナの演奏でダンスが盛り上がった後は、
暗闇の中、パンロゴを囲み本格的なダンスの盛り上がりを見せ、松葉杖で踊る凄腕の人なども見かけました。
後にセレモニーは幕となりました。

稚拙な説明ではありますが、多少のその場の光景を感じていただけたらとの思いで列挙した次第です。

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2007.09.14

カクラバ・ロビ大葬儀の報告

先日亡くなったカクラバの大葬儀セレモニーがガーナの首都アクラで、
9/7(金)、9/8(土)、に行なわれ、ソーイチマ氏と同行参列してきました。
会場はかなりの広さの野外のグラウンドをテントが半囲みし、両日で延べ数千人が集まったと思われます。
9/7(金)は日本の通夜にあたり、夜通しで行なわれました。
ドワナ、バィエレなど、縁りの木琴奏者の代わる代わるの演奏で始まり、グラウンド中央に映写幕が張られ、そこに、すらいみーの作ったカクラバのスライドショーDVDが上映されると、涙しながら観る者や、その映像に向かって激しくダンスする女性などで、カクラバの不在をいやが上にも知らされました。
通常ガーナでは、遺影を上映など無い様ですので、あらためて涙する人も多かったようです。
その日は、夜中の三時すぎに雨が降り出し、その後短時間で大雨となりました。

日本からのソーイチマ氏、アメリカからのバレリー女史などの演奏が、カクラバの国際的な活動の巾を偲ばせ、セレモニーに華を添えておりました。
しかしこの時、ふと思うと不思議な事に、夜更けの会場にカクラバが座っていて、歓談した様な錯覚を覚えるのは私だけでしょうか。

9/8(土)は、昼すぎから故郷サルーの長老たちによる伝統的セレモニーに始まり、
この日は地区のチーフ、ならびに、レゴン(ガーナ大学)のクワベナ教授の一行、
そして、ムスタファ・テティ・アディとオボヌドラマーズなどの、そうそうたる面々の参列及び演奏が有り、カクラバのひときわ深い人柄が偲ばれました。

その後、夜になると、再び木琴とガンガのアンサンブルが始まりました。
感電したように震える熱いロビダンスの応酬は、『ここはアフリカだ』、という事をまったく再確認させられる思いがしてきました。

カクラバの人柄を伝えるエピソードが有ります。誤解を恐れずにお伝えすれば、
「お前はチャンシーか?」と、ふと声をかけてくる人がいました。
その風貌から暖かい人柄が滲んでいました。
それはカクラバのドラマー、僚友コシザンだと後から分かりました。
又、バレリーは私がチャンシーだと分かると飛び上がって喜んでくれました。
両方ともに初対面でした。
想像以上にカクラバは私の事を話をしていてくれた事に驚き、うれしく思いました。
見えないけれど、まったく何処かにカクラバが居て微笑んでいる気がしてなりません。

以上、私見を含んでの報告ですが、少しでも雰囲気をご理解いただけたら幸いです。

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2007.08.30

「寄席」という本

高校生の時にクラスでK口君が小冊子を出した。
ガリ版刷りで、A4を四つ切りにしたサイズであった。
月一回程の不定期刊であったと思うが、残念ながら、ほぼ一年ほどの短命であったと思う。

表紙からクラス有志のそれぞれの投稿寄稿で成り立っていた。
その当時でも、寺山修二風な味を持ったS村の詩やイラストなどが人気であった。
なかでも「高田馬場に雨が降る」、「ばばあは握るか五百円」などの詩のフレーズは、
才能豊かでショッキングなものであった。
また、高田馬場の穴場紹介と称してのジジババの奇妙なミルクホールやら、
朝市のある公園などは、昨日読んだ本よりもハッキリと記憶に残っている。
わたしも、スケッチブックに書き溜めたボードレールまがいの詩などを投稿して不評をかった覚えがあるが、
本というのは時代を経るに従い、不思議な存在感をみせるものだ。
今、クラス会などをするとただちに話題にのぼってくるのもこの本だ。

何故なのか。
理由は分からないが、懐かしさだけではない、失われない何かがあるのかも知れない。
写真もアルバムも色褪せて、このような時も在ったと思い出の世界に入り込んでしまうが、
「寄席」は違う。
私の手許にはもうその小冊子は無いが、まざまざと記憶に浮かんで来るのである。
四十年経った今、何故かそれは色を失う事が無いのだ、むしろその存在の輝度を増していると言っていいのかも知れない。

T島君から聞いて驚いた、
家を継いで旋盤工となったはずのS村は、数年前、何処かでジャズピアノの弾き語りをやっていたそうだ。

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2007.08.28

忘れがたい茸汁

読者は、山間で採れた茸汁を食されたことがあるであろうか。
茸というのは秋の味覚であるが、人里離れた処で食する事が醍醐味である。
その山懐深いところ故に忘れられない味となるものである。

陶芸の里、益子の先にやはり陶芸で名を馳せる笠間というところがある。
三十年も前の昔の話で恐縮だが、そこの山間近くに、
友人の知り合いが古い農家を借りて陶芸の工房にしていて、泊まりに行った事がある。
日も暮れると、そこへの道は真っ暗やみとなる藁葺き屋根の農家で、
その家の夫妻や友人と酒盛りをして盛り上がり、微妙なとこで酒が切れた。
さて酒屋まではあなどれない距離らしい。買い出しを買って出たのはいいが、
鼻をつままれても分からない真っ暗やみを通らないと、村まで出られないのだ。
手を前に突き出しながらの、手探りの畦道行きは、何度も道を踏み外し、
泥にはまり込んでも、ついには酒を持ち帰った。
これほどの闇も無いものだ。

しかし、このような処だから、ちょっとやそっとでは経験出来ない事もある。
秋の山は、茸は採れ放題とのことだ。
すぐの裏山に行けばネズミダケやら、シメジなど多くの茸の種類が篭にいっぱいになる。
われわれは、奥さんが朝取りで裏山で採って来た茸で、茸汁をごちそうになった。
黄色い箒の様な形や、利休ねずみ色とまっ白の塊の茸、
木耳の様なものも混じり、味噌味で整えた、えも言われぬすばらしい汁を囲炉裏端で味わった。
まるで日本の山里そのものを食した記憶となっている。

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2007.08.26

死にそこなった話し

金沢に戻って、市内をうろついて骨董屋や薬屋などのたたずまいを眺め冷やかしつつ、金沢城に行った時の事だ。
私は広場から道をバイパスしようとした。記憶では自分の背丈と同等か、
それよりも少し低いぐらいの高さである城の白い土塀を、勢いよくむ向こう側に飛び越えようとした。
私はてっきり向こう側も平地であろう事を、疑いもしなかった。
うわっ!
飛び越える瞬間大変な事に気づいた。向こう側は落差数十メートルは在ろうかと云う武者返しになっていたのだ。
飛び越えの寸前に大パノラマが視野に広がり、突然鳥瞰図に解き放たれた展開である。
人が芥子粒の様に見えた。かすかに、あ、だめだ、という感覚もあった。

勢いづいた慣性の法則の身体を、もんどりうって塀の屋根瓦にしがみ着かせた。
まったく、すんでの所で止まった。
金沢というと、犀川や武家屋敷町とともにこの事が思い出され、まったく冷や汗をかくのである。

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2007.08.23

トマトの味

前回に恐山に出かけた話を書いたが、これはそれに続く話である。
その次の年、恐山行きと同様にふらりと出かけると、私は東海道線の米原に居た。
琵琶湖を見たかった記憶がある。
そこから何処を、どう通ったやら金沢の駅に降り立った。

相変わらず、着の身着のままであった。
私は、何か日本海がすぐ近くの予感がして、私鉄線に乗った。
しかし、行けども海は無かった。いいかげんなものであるが田舎の畑の中の駅で降りてしまった。
今思えばそこは無人駅かも知れなかった。ホームには私一人で人は誰もいない。
じりじりと夏の熱さだけが空高く膨らんでいった。

ホームの線路の目の前には、トマトの栽培畑が遠くまで続いてた。
海の無いせいだったのか、高い空のせいだったのか。
無性にそのトマトが食べたくなって一つもいで頂いてしまった。
今思えば、申し訳ない事だが、なんとも生温いがこれほどのうまいトマトを食べた記憶は無い。
太陽の暖かさの恵み、そのものを食した気がしたのである。
私は、その名前も覚えていない田舎の駅での出来事だが、
その口の中でトマトの崩れる生温さの感覚とともに、
不思議な、生の感じと太陽の感覚が強烈に印象に残っている。

その体験は、直接何かはまったく分からずとも、大いに感ずるものがあったのである。
私はそこで暫くは来ない金沢に戻る電車を待った。

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2007.08.21

恐山 3

今思うにこの経験は、旅行や冒険などとは本質的に違うものであろう。
シュミレーションではあるが、帰るべき場所を根底から、ひっくり返してのものだ。
結果的には「其処に在る事」への問いから始まっての、稚拙で過激な出発で在ったのだと思う。

しかし、この体験は私にとって忘れ得ぬものとなった。
恐山は、死者の言葉を語るイタコの居る場所でもある。
そして山頂の湖の河原は、幼くして亡くなった子の霊魂が迷わぬように石積みをする賽の河原でもある。
また、ひっそりとした湯治場で、死期の迫った者が隠れるように湯治をするのを見た。
漂泊する霊魂は、死んでなお現世の生きた場所を懐かしんで戻ろうと思うがもはや戻れない。
山の夕暮れ時に、それらがヒトダマとなって湖の上を飛ぶのを一瞬見たような気がする。
現世での念い半ばの魂が、きっと恐山に吸い寄せられて来るのであろう。

期せずして訪れたこの地だが、まさに漂泊のものが集まる地でも在った。
人生の悲劇の果てに出現する恐山は、別れてならないもの、愛すべき子を亡くした者が、寄せて来る処であったのである。
私は戻る決心をした。そのまますみやかに終わりのバスで山を降りた。

話がややっこしくなって申し訳ないが、
人生の心の営みというのは一体何であろう。
毎日、そこで繰り返される生活とは、果たしてどこに続くものなのであろうか。

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2007.08.20

恐山 2 

本州最果ての霊場、ここはイタコが霊を下ろすところだ。
足のむくまま、恐山へは徒歩で登った。
登山道から山頂にある宇曾利湖をめぐる林道を経て、かなりの道のりを歩いた。
小雨の中、私は傘をさしていた、このとき麓からずっと傘の中を二匹のアブが同行した。
飲むと長生きするという、深く苔むす山中より流れ出る湧き水が、深い渇きを癒してくれた。
ほとんど、人に遭わなかったが、正体不明の者に出くわした。

姿は見えないのだが、身の丈は七尺ぐらい在るかも知れない大きな奇怪なモノが、
途中からずっと左側の雑木に紛れてついて来る。
薮の向こうでガサッ、こちらが止まると向こうも止まる。
三、四十分もずっとついて来た、すると、事もあろうか、
薮から突然全身を現し、私の目の前をゆうゆうと横切りいなくなった。
なんだったのだろうか?
まったく表現出来ないものというのは在るものなのである。
今想っても、何だか分からないのである。
私は原生林の中の単独歩行なるものは、人間界とはまったく違った感覚のものである事を思い知った。
何か、自分が一動物として流浪する原体験に近いものだと思えた。

これは、後からの事だが、NHK-FMの放送で偶然聴いた宮城道雄の十三弦の演奏に、
胸が咳き込むほどこの原生林の体験に同調する事に驚きを持ったのを覚えている。

宇曾利湖を四分の三周巡り、反対側にたどり着いた。徐々に小石が増え、積み石になった。
そこはあの賽の河原であった。
湖の空のあたりから河原の石積みのあたりの空間が、何か異様な圧迫で曲っているように感じた。
そして妙に寂しい、人を引きずり込む様なあの緑の色は、深く深く目玉に焼き付いた。

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2007.08.16

恐山 1

私が二十歳の頃、「ふらっと、準備も無しに出かけると、いったいどういう風になり、何処に行くのか。」
の様な事をひどく掘り下げて考え、テーマにして実行動した時期が二、三年、在った。
『人間蒸発』などと云う言葉が流行ったのもこの頃であろう。
当時の話として、煙草を買いに出かけ、そのまま帰ってこなかった人の話がある。
その動機は、タバコ屋に出かけ、ふと見上げた垣根から覗く某かの花が恐ろしく綺麗に見えたのだという。
同時に自分自身がこの繰り返しのまま終わる人生かと思うと、やるせなくつまらないものに思えた、というのだ。

つげ義春のマンガ「峠の犬」もそうである。
物事の動機、人生というものが、何処でどうやって定着して決まって行くのか非常に興味深く感じた覚えがある。
この物語りの犬は、放浪ともつかぬうちに人知れずの生をいろいろの場で送り、違う名で呼ばれてもいた。
それでもいっこうに気にする事も無く、又、犬には犬の宿命があるはずなのだが、
それも漂泊のうちに忘れたようであった。
またその愛想のない犬が無心に遊ぶ姿が、なんとも印象深い。

私は、ある夏、出かけた。もう戻らないつもりで...。
だが、そのような気分は、まったく恐ろしいものである。
何物をも持たず、着の身着のまま東北本線にゴム草履ばきで乗ったのだが、
出かける行く先が無いと云う事は、どう云う事か!?
放浪と呼ぶものとは違うであろう精神の極限でもあった。
当時の私の二十歳の精神は、過激で思いつめたものでも在ったと思える。

足は本州最北下北半島まで向かった。
そこは『恐山』が在ったのである。

つづく

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2007.08.14

カクラバ・ロビを追悼して

 カクラバ・ロビの音楽は、アフリカから生まれた音