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2008.03.04

大人の退屈について

大人になり歳を取ると、退屈でつまらない時間というのが増えるのであろうか?
何か、いろいろなものが色あせて見えてくるのは気のせいなのであろうか?
年齢を追う事毎に、時間が早まるような気がするのも、私だけの現象ではないと思う…。
実際、五十代の後半の一年間は、十代のひと月よりも短い気がする時がある。

家具などの付き合いの永いものたちの表情を、日中、まじまじと見つめてしまう時があるが、
そういえば、いつの間にこんな味のある色に変わったのか?まったく記憶に無い。
数十年といえども、つい今朝の記憶と、大して違うものでもない気がしているのだが、
実際には、いろいろなものが変化をしているのであろう。
そんな事は、知らぬが仏、馬の耳に念仏、を決め込んで物事に熱中するのもいいだろう。
しかし、某かの隙間風が、心を寒くさせるのである…。

これは、自分という命に限りがある事を自分が知っているからであろう。
それを正直に心に認めたときに、静かさと孤独が真の正体を顕わす。
自分の存在が消えることは恐ろしい事である。
生まれたからには死んでゆくという自然の道理は、自分にも遣って来るものだというのは、どう思考してみても理性では納得することが出来ない事だ。
心の波を静めて、大きく座るしかない。
…ものが判るということが大人なのである…。
一つの道理として、ドラマとして、この心の寒さすら味わうことが出来うるのも人間である。
魂というものは、けっして現世の煩雑な時間の中にだけ生きるものではないと、私は思う。
まったく退屈と言えども、恐ろしいものが在るものである。
追記
果たして、人生の五十年というのは、百年の半分である。年表で、江戸や、明治というものが判ったような気になっていたが、実際の五十年を生きて、明治維新までの、自分の尺の時間を知り、大仏建立の天平や奈良時代までも、その感覚が支配できそうな気がしてくる。そうしたときに、永久の昔から私の祖先達の魂が、まったく現前する気がしてくるのである。japanesetea


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