写真数点
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今回のガーナ行きで、帰ってから気がついた事がある。
それは、カクラバのマンボビの家の庭で、何気なく演奏を録音した内容の素晴らしさだ。
夢中で取材中は、聞くことができなかったが、マンボビでの木琴演奏は、とんでもないものであるのに驚いた。
その木琴演奏はこの上ないスピードとテクニックは勿論、どこかに普遍的な品格を持ち合わせている。
ロビ族の歴史にも繋がる何かだ。
カクラバが二度日本に連れてきたバィエレである。
今二十七歳になるということだ。
彼は何年もどういうわけであるか、行方が知れずにいたが、ニマの貧民の街にひっそりと住んでいた。
その演奏は、まさにカクラバの折り紙付きといってもよい。
このまま此処ニマに埋もれてしまうには、あまりにも勿体無い話である。
この青年の神の加護が在らんことを願わずにはいられない。
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ジェット機の小窓からの眺めは、庭に飼う魚の鉢を覗き込む子供の心境に近いものがある。
とくに夜間飛行の眺めはこれに近い。いくら見ていても見飽きる事がない。
光の連鎖の美しさもさる事ながら、ひと際星の世界の直中な感じに打たれる。
ゆっくりと高空を移動するために世界全部が水槽に収まってしまったかに思える。
私は今までこの下界の、あるひとっ処に生活し住んでいたのである。
それを思うと奇異な感じすらする。
仕事を考え、親を悩み、決意を行動する、これらのもろもろの事情というものが、
すべて本当なのかどうか知れなくなる。
あらゆる事情と訳が、繰り返しの無意味なデクノボウにすぎないものとなる。
いったいどう言う事だ。
いのちと実在に対する直感が湧き上がったのだ。
この強烈なギラギラとした星々は地上では見えない。
!高空を飛行するジェット機の同方向に、
長々と二筋走る、鋭い銀の槍の様な鮮烈な光りが小窓から見えた。
流星である。その輝きは瞬時に心を溶かすほど素敵であった。
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カクラバの演奏は、現地ガーナよりも海外での評価が断ぜんの高さが有ります。
アフリカ音楽だけではなく、クラシック、ジャズ、現代音楽、
また現代美術、ミニマムアートなどの分野にも、大きな影響を及ぼしました。
アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、etc, 内容もまったく西洋の音楽をも凌駕する勢いです。
しかし、カクラバの音楽に難しい理屈はほとんど必要有りません。
その響きの美しさと、ダイナミックなビート感は、
難解なところなどどこにもありません。
カクラバの演奏する音楽そのものは、同じ曲でも千変万化、変奏と変容する美しさに溢れています。
このような演奏家は希有です。
日本にも多くのカクラバの音楽のファンがいると思います。
カクラバの音楽について、それぞれの感慨をお持ちでしょうが、
私には、カクラバの演奏を聞いているとアフリカの音楽というジャンルにもかかわらずに、
どのような音楽評論も軽々とすりぬけてしまうのが、とても気持ちのよい事でした。
分からぬやつからは、身ぐるみ頂いてしまう気概も持ち合わせていました。
ともすると空耳のように、カクラバの大きな笑い声が聞こえてくる気がします。
まるで歴代の名だたる禅僧のようです。
カクラバはちょっとした冗談が好きでした、自分のジョークに自分で大笑いしたりしていました。
正直言って、カクラバの偉ぶった所のない、
こんな敬愛できる人柄は、あまり知られて無いかも知れません。
あれほどの凄い演奏からは、なかなか想像するのは容易ではありません。
しかし驚くのは、公に残されたCDや音源、映像の、何とも少ない事です。
「立つ鳥後を濁さず。」の格言の通りなのでしょうか…。
人の命というものには宿命とかぎりは在るのでしょうけれども、 私には、星が一つ消えただけとはとても思えない心境であります。
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葬儀では、親戚縁者の他に個人と親しかった人々が集まって来ます。
しかし、カクラバの場合は海外にも多くのファンがいました。
葬式には出れずとも、その音楽を敬愛する人達の中には
まだ、亡くなった事すら知らない方もいるでしょう。
そのような方達のためにも、多少の細かい事を記しておきたいと思います。
セレモニー当日は、カクラバの生まれ故郷のサルーの長老のジェームスが先頭になり、
ロビ族の弓を高々と掲げ、後には、カクラバの故郷に住む兄弟、ダリ、や村人が続き、
一列になりコギリに合わせてダンスで中央に入場してきます。
反対からは女性らが同様に列になりすれ違います。
アクラ在住のカクラバの弟、ドワナがピレの演奏を始め、それを皮切りに、
一番下の弟ヒェンボルトや、ゆかりの木琴奏者バィエレらが、
つぎつぎと順番に演奏しはじめました。
ガンガというドラムが加わったスタイルの木琴が、ダンスの主役になります。
これは、前にも書きましたが、感電して震えるような激しいダンスで、
大勢の踊り手が、皆一斉に走り込んで来て震える様は凄いものがあります。
いずれにしても、木琴中心のアンサンブルが行なわれ、
ダガラなどの響きの多少違うものも演奏されました。
ドワナの木琴の露払いを先頭に行進してきたレゴン(ガーナ大)のクワベナ教授が、黒の衣装で演壇に立ち、
長い喋りに脇侍の方がいちいちうなずくのは、アフリカ風な見物でした。
目の覚めるような黄色の衣装に着替えたムスタファとオボヌドラマーズの入場では、
コーラスがひと際目を引くと、トーキングドラム、シェケレとともに、
ムスタファのバレケテのリズムが、高く低く響き胸を掻き立てます。
そしてムスタファとオボヌドラマーズ演奏の後、そこにカクラバの後継として、
カクラバと一緒に日本に二度来た事の有るバエレを加えた、短い演奏が有りました。
他には、前述した、バレリー女史、ソーイチマ氏の他に、
甥のエスケーが木琴をたたくグループでは、アテンテンベンの笛三本にパンロゴ、ゴメの入った、
ハイライフ風なトラディッショナルの演奏で、笛の音色がアクラの空に明るく響き渡りました。
夕暮れも過ぎ、ドワナの演奏でダンスが盛り上がった後は、
暗闇の中、パンロゴを囲み本格的なダンスの盛り上がりを見せ、松葉杖で踊る凄腕の人なども見かけました。
後にセレモニーは幕となりました。
稚拙な説明ではありますが、多少のその場の光景を感じていただけたらとの思いで列挙した次第です。
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先日亡くなったカクラバの大葬儀セレモニーがガーナの首都アクラで、
9/7(金)、9/8(土)、に行なわれ、ソーイチマ氏と同行参列してきました。
会場はかなりの広さの野外のグラウンドをテントが半囲みし、両日で延べ数千人が集まったと思われます。
9/7(金)は日本の通夜にあたり、夜通しで行なわれました。
ドワナ、バィエレなど、縁りの木琴奏者の代わる代わるの演奏で始まり、グラウンド中央に映写幕が張られ、そこに、すらいみーの作ったカクラバのスライドショーDVDが上映されると、涙しながら観る者や、その映像に向かって激しくダンスする女性などで、カクラバの不在をいやが上にも知らされました。
通常ガーナでは、遺影を上映など無い様ですので、あらためて涙する人も多かったようです。
その日は、夜中の三時すぎに雨が降り出し、その後短時間で大雨となりました。
日本からのソーイチマ氏、アメリカからのバレリー女史などの演奏が、カクラバの国際的な活動の巾を偲ばせ、セレモニーに華を添えておりました。
しかしこの時、ふと思うと不思議な事に、夜更けの会場にカクラバが座っていて、歓談した様な錯覚を覚えるのは私だけでしょうか。
9/8(土)は、昼すぎから故郷サルーの長老たちによる伝統的セレモニーに始まり、
この日は地区のチーフ、ならびに、レゴン(ガーナ大学)のクワベナ教授の一行、
そして、ムスタファ・テティ・アディとオボヌドラマーズなどの、そうそうたる面々の参列及び演奏が有り、カクラバのひときわ深い人柄が偲ばれました。
その後、夜になると、再び木琴とガンガのアンサンブルが始まりました。
感電したように震える熱いロビダンスの応酬は、『ここはアフリカだ』、という事をまったく再確認させられる思いがしてきました。
カクラバの人柄を伝えるエピソードが有ります。誤解を恐れずにお伝えすれば、
「お前はチャンシーか?」と、ふと声をかけてくる人がいました。
その風貌から暖かい人柄が滲んでいました。
それはカクラバのドラマー、僚友コシザンだと後から分かりました。
又、バレリーは私がチャンシーだと分かると飛び上がって喜んでくれました。
両方ともに初対面でした。
想像以上にカクラバは私の事を話をしていてくれた事に驚き、うれしく思いました。
見えないけれど、まったく何処かにカクラバが居て微笑んでいる気がしてなりません。
以上、私見を含んでの報告ですが、少しでも雰囲気をご理解いただけたら幸いです。
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