新装開店します
ご愛読いただきました荒唐無稽は、「もっと荒唐無稽」として生まれ変わります。
引き続き、読んでいただければ幸いです。
新URL もっと荒唐無稽 http://hyotan-ya.com/blog/chancey.php こちらまで。
なお、いままでの「荒唐無稽」は、7月いっぱいを持ちまして閉鎖させていただきます。
長い間、ご購読ありがとうございました。
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私は、毎年師走の暮れ12月31日には家族で調布深大寺にお参りする。
そこで一人楽焼きの皿を描くのを楽しみにしている。
そのときどき絵柄はインスピレーションで描く。
その年にあった出来事や、来年の予感である。
しかし今回は準備をしていった…。
オリーブの小枝を一差し持っていったのである。
なぜオリーブなのか判らないが、兎に角この年にオリーブの苗木を数本植えたり、
食卓をオリーブの実やオイルが豊かにしてくれた。
オリーブは簡単な枝付きだが、いざ描きはじめると思うように行かない。
小枝そのままを張り付けてもよいほどの感じなのだが、トレースしても気に入らぬ。
さんざん苦闘して、しまいには取り返しのつかぬ程皿を真っ黒にしてしまった。
絶望の極みだ、こうなったら皿のすべてを黒く塗りつぶして線彫りで行くしかない。
咄嗟に思いを決めて皿は救われた。
漆黒に線彫りのオリーブの小枝が浮かび上がった。
その頭上に曙光の煌めきと日付けサインを入れて皿は瞬時に安堵した。
なにやらこの一連に、ただごとならぬ予感がしたので、
深大寺の最奥、深沙大将聖域に於いてお伺いを立てた。
すると私の右手にこのような姿が現れたのである。
私には古代アフリカの王様が、微笑んでいるように見える。
その笑いは明るい輝きを放っている。
私はひどく得心した。
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先に、吉祥寺の玉子屋の店先での、流浪の音楽家の門付の話を書いた。
まったくその矢先の事だ!
先週何気なく見ていたふとしたTV番組の中に、その当時の店先の写真が突然映し出され出たのである!
私はまったくたまげた。
当時から吉祥寺に在る写真館の主人が、変わりつつある吉祥寺をカメラに収めていたものと云う事だ。
その中の一枚が玉子屋だった。
べつに玉子屋を取り上げた内容では無かったから、一瞬である。
モノクロの四つ切りぐらいだろうか、1968年頃と在ったからほぼ同時期である。
白い割烹着に三角ナプキンをかぶった売り子のおばさんも、そこに立って写っていた。
写真から、玉子の販売用の箱の中の藁やら、ケースの木の感触も感じられた。
唯一、そこにその流浪の音楽家だけが写っていないだけであった…。
まったく一瞬映った店先の写真から、ありありとすべて印象が甦って来た。
それに出くわしたその日の、暖かな日溜まりの感覚までが甦り余韻に残った…。
写真にしろ、当時の店先をよもや再び目にしようとは思わなかった…。
何処かで、わからない何モノかが壮絶に訴えているかも知れないと云う気がしてきた。
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声を合わせて何かをするのは、気持ちが良いことである。
西アフリカのコーラスはそれにも増して、何か元気が出て来る感じがある。
もともと声をあわせるのは、作業の上で力を合わせるということがある。
アフリカに居ると、何故だか分からないがさまざまな生活のトラブルが日々発生する。
水が止まる、電気も止まる。車もエンコする。
そのような時に、アフリカでは一人で悩んだりしないのだ。
何事か起ると、みんなを巻き込んで大騒ぎだ。
逆に道に迷ったりすると、我も我もと、他人事とは思えないほどつき合ってくれる。
しばらく居ると、私などもそれにだんだん慣れてきた。
ここでは、人生で問題が起るのは当たり前なのだと、ついには思い出す。
万事、コーラスもこんな具合だ。
多少声なんか外れても関係ない。
しかし、いいタイミングで自分を主張する事も忘れない。
みんなを巻き込んで、生活のトラブルを解決するためのダミ声が、そのまま歌のダンス、コーラスにもなる。
西洋的できれいなハーモニーを造り出すアカペラのコーラスなども、すばらしいものだが、
ガーナの人々のコーラスは、そういう意味からもまったく魅力がある。
地声が交じり有って作り出すその厚みは、あくまでも日常的で現世を離れる事がないのだ。
言葉のリズミカルな抑揚が絶妙に重なりあい、軽快な力強さを生み出す。
ダンスする言葉…、あくまでも現世存在的なところを離れない生な魅力である。
このような深みを私は好きだ。
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昨今では、マスメディアの商業主義音楽ばかりが溢れ、音楽と云うとついこれらの事と錯覚をしてしまうが、生活の中での祝いの時、葬式の時、などの生な歌や演奏は人の門出やはなむけの折に相応しく、すばらしいと感激することがある。
その場の余興とはひと味違うもので、そのかげには、時間を賭けてその人が取り組んだものであるということもあるからであろう。
人の門出や別れには無くてはならないのが、この様な生な歌や音楽である。
何よりも人間の悲劇や喜劇をそのままに表現し、伝える感じが、生の歌や演奏には有るのではないかと思う。
そう云うものを、また上回るモノがある…。
それが、流浪の演奏家だ。
言わば行脚の雲水の様であるが、覚りなどは問題では無いらしい…、抹香臭い感じはそこにはないのである。
要は、乞食すれすれの境遇だが、そのすばらしい使い込まれた楽器の腕でその日の糧を手にする彼らなのだ。
明日はどうでもいい、今、一つの握飯を音楽で得るのだ!
私の育った戦後の日本には、まだ、流浪しながら門付けをする人々が僅かにいた。
そう、子供時分には、三河漫才だの虚無僧だのが家にやっても来た。
このような一事情ありそうな、ストリートにある音楽家は私も出会った事が有る。
1969年頃の事だ、長旅に汚れテカった不思議な衣装、身体の一部となった擦弦楽器を擦って、玉子屋の入り口で門付けをする流浪の音楽家を吉祥寺付近で見かけた事があった。
そのえも言われぬ調子に、ここがまったくアジアの一角で在ることが知れた気がした。
…それがこういうものを見た最後かも知れない。
もうすでに、紙芝居屋や三河漫才やら虚無僧なども姿を消して久しかった…。
アフリカには、まだまだこの様に生きる人達が現在も居る。
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好きな事を好きにやるのが私の世代の流儀である。
本人が良ければ、イヌイットの太鼓だろうが、沖縄の三線だろうが、いいものはいいという立場だ。
おもしろいからやってみようというのが主たる動機で、始める時に他の事情はないのだ。
アフリカの太鼓などもこの様に始まった。
しかし、やり始めてみてその難しさに唖然とするのである。
民族の伝統を持った音楽と云うものはほとんどがそのように難しいのである。
しかし、止めてしまう気は私にはさらさら無かった。
アフリカ音楽は、私にとってただのアクセサリーでは無い。
また、ミュージシャンになるための方便でも無い。
私はガーナのパンロゴを始めてから数年してアフリカに渡った。
ここに姿をかえて帰ってきた音楽精霊が、アフリカに居続けた者どもと出会うのである。
実に誰にも判らぬ帰還だ。
言語はおろか、人種や肌の色までもが変わって戻ってきた精霊を、アフリカはどう受け止めるのであろうか?
この帰還を理解するものはまったく僅かだ…。
ところが驚くべき事にアフリカは最上級の精霊で懐を開いてくれた。
オートボルタのロビの木琴の精霊が大らかに迎えてくれたのだ!私は本当に感激で涙がむせんだ。
カクラバ・ロビ。
彼が帰還の儀礼を執り行ってくれた。
彼は、今や偉大な魂となって大地を飛行する。
魂の恩返しとして私は木琴をやり続ける。
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現在の日本には音楽が溢れている。しかし精霊が立ち昇るほどのものは皆無だ。
なぜだろう?思い過ごしだろうか?そう思うのは私だけなのだろうか?
絶望をたえ抜くほどの力が、もはや音楽から失われてしまったのだろうか?
これだけ音楽が氾濫しながら音楽の神はそこに居ないのだ…。
理由は判らない。
一方、アフリカから旅を始めた音楽の精霊は、アメリカはもちろんの事、キューバ、ブラジル、ジャマイカなど西インド諸島周辺にも降臨して、独特の変遷をとげた。
ラテン音楽への混血もすばらしいものがある。
このように国の違いを越え、西アフリカから悲劇とともに出発した音楽の精霊は、今やあらゆるジャンル、また、都市と人々に行き渡っている。
音楽は、人や物の流れによってゆっくり昔は運ばれた。
日本の民謡などの伝播も、北前船などの航路と重なる事があると聞く。
人の生活が物とともに歌も運び、音楽も運んだのである。
この生活とともにあることこそ音楽の本来の力がみなぎるのだろう…。
…逆説的だが、生活の荒廃が、音楽を絞め殺すような事になってやしまいか?
効率化された能力社会が、音楽の精霊を絞め殺してはいないか?
恐ろしい事は忍び足でやってくる。
私達の生活へのリアルさが、最近いつのまにか奪われてやしないだろうか?
悲しい時、辛い時に密かに聴く歌はあるのだろううか?
話を戻そう、おおらかに元気よく聞こえてくる西アフリカの音楽に、その音楽精霊のリアルな姿を感じる事が往々にしてあるのだ!
生活と身体の動きが、いのちのルーツを取り戻すかのように…。
遠くにアフリカを船出した音楽の精霊は、自らの身体にルーツの旅をしてアフリカに帰る。
…それがわれわれにパンロゴをたたかせたり、木琴をたたかせたり、コーラスをやらせる原因でもある。
つづく
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私の記憶では1960年代後半頃に、FM東海の試験放送がはじまり、「ジェットストリーム」も始まった。
NHKFMでは、芸大の小泉文夫さんの「世界の民族音楽」という番組があった。
NHKFMは他にも、ラテン、ジャズ、ロック、邦楽の音楽番組が日替わりで有り、たっぷりの時間を取り、本当にレベルが高く毎週聴くのを楽しみにしていた。
解説者も、その雑誌の編集長や評論家を揃え,
FM放送の黎明期とはいえ、えらく充実したものであったのだ。
当時からレコードに対する耳だけは肥えていた。
なにしろオーディオを買う金が無いので、よく聴いていたのはジャズ喫茶に有るJBLのパラゴンとか、マッキントッシュだったのだから。
何としてもセパレートタイプのハイファイステレオが欲しくて、最初の稼ぎを貰うと同時に、SANSUIのステレオと、SONYのオープンテープデッキを、長期の月賦でまっ先に買った。
1969年あたりの事だと思う。
この様な経験を持つのは私だけでは無いはずだ…。
この頃、FM放送を介して、高音質の音楽が聴けるようになった意味はとてつもなく大きい。
それというのも、音楽放送の内容の充実こそが、目を見張るものがあったからなのだ。
…何よりも小泉文夫さんの「世界の民族音楽」という番組は、芸大並のその内容の濃さとレベルの高さを持って、世界中の民族音楽が私に飛び込んできたのである!
珍しい録音が、惜し気も無く放送された。
なかには、唸るような名演奏や、なかなか聞けない現地で採った貴重なテープなども沢山あった。
この番組で聴いた、インドやパキスタン、アフリカ、バリや、シャーマンの音楽、などの音源には、毎回度胆を抜かれた憶えがある!また、その解説と喋りはおもしろく、真摯で、本当に毎回わくわくとした。
特にアフリカの木琴や、コーラスにはなんとも不思議な懐かしさまでを憶えた…。
しかし、同時に、このようなワールドミュージックとしての世界的な認識は、民族音楽が民族の中だけの閉じられた音楽では無くなった事も意味していたのだ…。
詳しい時期は忘れたが、年末だかの番組の終わりに、彼はこの様な事を番組で言った。
「民族が違っても、その民族音楽がすばらしいと判る感性があれば、いつか演奏する事も出来るはずです。その心が大切なのです。」そのような事を小泉文夫さんは言ったのだ。
南インドでビーナの修行をした彼だ、この問題意識を持ち続け、磨き込んだ言葉に聞こえた。
重要な言葉として今も私の胸に在る。
音楽が国境を越える…。
「ジェットストリーム」という番組がこの頃の時代背景をよく象徴している。
つづく
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パンロゴクラブの解散を行なって痛感するのは、今の日本では、アフリカ伝統音楽がジャンルにもならない弱小であることだ。
狭い日本の中で、誰がどうとか、へちまとかは、あまり建設的ではない。
せめて西アフリカ東アフリカを含め、まだアフリカの括りがある意味有ればいいのだが…。
われわれ日本人には、クンタキンテのごとくに“深いルーツ”を抜きにしては、アフリカ音楽の精霊と出会いえない経緯が在るのだ…。
伝統音楽は、民族に根ざして出来上がったものである。
アフリカの伝統的なアンサンブルというのは、民族が違えば違ってくるのである。
しかし、われわれはその括りからはもっとも自由な立場である。
何故ならアフリカですらない他民族であるからである。
何故われわれは他の民族の音楽をやるのであろう?
何故そのような不思議な事が起っているのか?
思い当たる事を書いてみたい。
20世紀になって、アメリカで黒人音楽をベースにしたジャズやロックが広範囲に認知されはじめて、現代の音楽という分野自体があらゆる意味において驚異的な発展をしたからである。
1945年、日本では敗戦をきっかけにしてアメリカから、進駐軍とともに生のジャズやポップスが恐ろしい鮮度をもって日本になだれ込んできた。
何故アメリカのジャズ、ポップスがこれほどまでに庶民の底辺まで浸透したのか?
無条件降服の玉音放送の天皇陛下のお言葉とともに、日本のすべてが刷新されたのは、ラジオ放送で行なわれた。
ラジオは誰もが聞く事が出来た。
われわれの音楽の文明開化はここに始まると、私には思える。
アメリカの音楽、ジャズは黒人奴隷貿易の歴史とは、切っても切り離せないものである。
黒人奴隷貿易から奴隷解放へのアメリカの歴史とともに、黒人奴隷達の祖国西アフリカのリズムと音楽は、そのままの強い生命力でアメリカの歴史を生き残った。
そしてアメリカ合衆国という移民の国で、黒人の音楽はとてつもなく大きくシェイクされ、ミックスされ、アメリカの音楽精霊となったのだ。
黒人音楽だけではない、モダンジャズの誕生にはクラシック音楽との混交、ブルーノートジャズのレーベル誕生など、ナチを逃れアメリカに亡命したユダヤ人のセンスも大きく入り交じった。
いいも悪いも人種が交じり、音楽も急激に交じりあったのだ。
これらの音楽は、偶然なにげなく生まれてきたものでは無い。
奴隷貿易、戦争の悲惨で過酷な境遇を、音楽の力でたえ抜いた人々の魂が焼き付いたものである。
言わば民族の精霊そのものが強烈にミックスされたものだ。
これは、私にはアメリカが産んだもっとも偉大なものではないだろうかと思える。
日本に目を戻そう。
日本の武神がことごとく逃げ去ったあと、進駐軍の一世風靡がダンスブームや、相次ぐビックバンドをも生み出す中、
その土壌がまだ収まらぬうちに、またも日本にアメリカから衝撃の波がやってきたのだ?
ベトナム戦争である。日本はアメリカのベース基地となったのである。
ベトナム戦争とともに、ふたたびそこに強烈なアメリカ兵士の生なロック音楽とサイケなドラッグミュージックが、私達にFENと深夜放送で強烈に叩き込まれてきた。
そのとき受験生どもは、深夜放送でそのアンテナをそば立てて驚異を持って聞き入ったのだ。
爆撃機の編隊の向こう、世界は深く、悲惨がそこに在った。
…あたかもラジオから音楽の精霊そのものが降臨するごとくであった。
音楽の精霊というのは実にダイナミックである。
私も含め、世界中が特異な音楽の渦に巻き込まれたのである。
その渾沌の先に、遠く浮かぶアフリカを見い出す事になろうとは!
つづく
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カクラバ・ロビの一周忌が、九月二十八日(日)に日本で行なわれた。場所は神奈川県の大和市勤労福祉会館である。
ガーナ式のセレモニーに、百人近くのアフリカの人々、また、日本人の関係者が集まり盛大に行なわれた。
なぜ日本なのかと言えば、テンソ、バヌマ、そしてソーイチマと、三人の息子がすべて日本に在住しているせいもあるだろう。
カクラバ本人も、大いに日本と縁があったので納得出来る。
セレモニーは、個人を偲ぶだけの日本式ではなく、DJ音響も入り現地のように賑やかに行なわれた。
プロジェクターで、以前TVで放映されたカクラバのムービーが傍らに映し出された。
その中で、
「アフリカの音楽は理解するのに時間が掛かる…。
お金が有るのと、お金が無いのと、“人の一生では同じだ。”
と、理解するぐらいの時間が掛かるのです。」
アフリカの音楽に心得の有るものには、実に言い得て妙な、煙にまく様なおもしろさが漂う…。
カクラバ・ロビという希有の音楽家の、カテゴリーを超えたこのメッセージがまったくすばらしいものだった。
夜になって、待ちに待った生演奏が始まった。
息子のテンソのコギリ、それにパンロゴ、コギリのジュンペイ、リョウヘイ兄弟のグループ。
そのあと、音楽家が亡くなった時のためのボギリ演奏「ダルペンパルパラ」。
これは息子のテンソ、ソーイチマ、のニ台の木琴と、息子のバヌマの太鼓、それに、NAOKO、のベルで演奏された。
ふっと、ガーナにいる様な気分がしたのは私だけではないだろう…。
音楽家にして、偉大なる“庶民”、カクラバ…。
早いものでもう一年立ってしまった。何処か不在のまま、一年が過ぎた様な妙な気分だが、
もうこの世では二度と出会う事が無いのである…。
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